ウマ娘の登場馬について(1stアニバーサリーからの追加実装)

こんにちは

早く名前未発表のウマ娘を紹介せい

たみーです。

 

このブログ、数カ月前から準備してたのに、未だに名前を公表する気配が見えないので諦めて、考察通りの名前で紹介することにしました。

タニノギムレットシンボリクリスエスコパノリッキーを出すのは全然良い、むしろ大歓迎。でも先に発表するべきウマ娘が控えてるやろがい。

 

ドゥラメンテはクラブ馬だから諦めてましたが、同期の馬が出てくれると世代最強のドゥラメンテの株も上がるってもんよ。

 

キタサンブラックの同期が実装ということで、ドゥラメンテの名前が界隈で挙がって嬉しかったけど、同期の「リアルスティール」も忘れないでください。ドゥラメンテと同じサンデーレーシングのクラブ馬で、共同通信杯ではドゥラメンテに勝っている。連対率が高く、ドバイターフを勝った。昨年に海外G1を3勝した「ラヴズオンリーユー」の全兄じゃい。

 

年代順で10頭(人)紹介しまーす。

 

 

ヤマニンゼファー(1988生・牡)

骨膜炎を2度発症し、3歳時は力を出せなかった。翌年、安田記念では11番人気ながらも、ハイペースで先団から抜け出し、ニホンピロウイナーとの父子制覇を達成した。

下期は、マイルCSダイタクヘリオスのレコード優勝の5着、スプリンターズSニシノフラワーにゴール前で差されて2着。

翌年、1800m(中山記念4着)までしか経験が無かったが、最大目標を天皇賞(秋)とした。安田記念では1番人気ニシノフラワーを退け連覇達成。毎日王冠では、やはりスタミナ不足なのか6着に沈んだが、目標を変えずに厳しい調教を課した。本番、天皇賞(秋)では、大逃げツインターボの3番手から最終コーナーで先頭に立ち、並び掛けたセキテイリュウオーと300mもの競り合いをハナ差で制した。

年末のスプリンターズSサクラバクシンオーの2着に敗れ引退。惜しくも、史上初の短距離・マイル・中距離の3階級GⅠ制覇とはならなかった。

 

 

サクラローレル(1991生・牡)

フランスからの持込馬。成長が遅く、体質も弱かった。

骨膜炎を抱え、新馬戦から2連敗し、脚元を考慮してダート転向。未勝利戦をあっさり勝つと、ダービーに間に合わせる為に狭い間隔で走らされる。青葉賞でダービー出走権を獲得したが、球節炎の発症や連戦の疲れもあり休養。

秋はセントライト記念で8着となり、条件戦へ進むことに。順当に勝ち上がった翌年、中山金杯1着と好成績で始まり、天皇賞(春)に進もうとしたが、調教中に骨折。治療により命を取り留める程の重傷で、競走能力喪失に近い診断をされたが、貴重な欧州血統と高い能力を諦められず現役続行へ。

13ヶ月後の復帰戦・中山記念を圧勝し、天皇賞(春)へ。2強のナリタブライアンマヤノトップガンに次ぐ3番人気だった。先行するマヤノトップガンが直線に入った辺りでナリタブライアンが交わしたが、更に後方からサクラローレルが直線で差し切る名勝負となった。

有馬記念では、直線で競っていたマヤノトップガンマーベラスサンデーをまとめて差し切り圧勝する。

その後、軽度の骨折が判明し調整が遅れた為、翌年の天皇賞(春)には直行。直線でマーベラスサンデーとの競り合いには制したが、今度はマヤノトップガンに差されてしまう。

秋に凱旋門賞を目標に前哨戦のフォア賞(GⅡ)へ。直線で後退し最下位。精密検査で右前脚屈腱不全断裂が判明。現地の獣医師は薬殺を宣言したが牧場従業員が阻止(あぶな)。無事に引退し種牡馬に。

 

 

ツルマルツヨシ(1995生・牡)

シンボリルドルフ産駒。

デビューは皐月賞も終わった3歳5月。出走と休養を繰り返す程の超虚弱体質。

まともにレースが出来るようになったのは4歳6月。

条件戦をクリアし、朝日チャレンジC(GⅢ)でメイショウドトウ差し切り、重賞馬に。

続く京都大賞典では、直線で抜け出し、スペシャルウィークテイエムオペラオーメジロブライトという豪華メンバーを振り切った。

天皇賞(秋)は8着に敗れたが、有馬記念では、直線で先頭に立ち、グラスワンダーの4着であったものの、スペシャルウィークテイエムオペラオーと4頭での横並びで、0.1秒差という激闘を見せた。

レース後に骨瘤を発症し長期休養。翌年も有馬記念に出走するが、レース中に左前脚の繋靭帯を断裂し、競走中止に。予後不良は免れたが、実力を出し切れないまま引退してしまった。

 

 

ナリタトップロード(1996生・牡)

サッカーボーイ産駒(シンデレラグレイの「ディクタストライカ」)。

弥生賞アドマイヤベガに勝ち、クラシックの主役に。皐月賞ではテイエムオペラオーの3着。ダービーはゴール前でアドマイヤベガに差された。

秋の京都新聞杯では、またもアドマイヤベガの2着となるが、菊花賞ではテイエムオペラオーの猛追を振り切り、GIを獲った。以降はテイエムオペラオーメイショウドトウの陰に隠れてしまった。

同年にGⅠを獲ってないのに有馬記念のファン投票で1位になる程、ファンに愛された馬だった。種牡馬で3世代を残して、奇しくもに菊花賞を制した6年前と同日の11/7に心不全で死亡した。

 

 

タニノギムレット(1999生・牡)

デビューは2歳夏で早かったが2着。その後の尻尾骨折による引退の危機を乗り越え、12月の未勝利戦7馬身差で初勝利。3歳になり、シンザン記念・アーリントンCは武豊を背に上がり最速で優勝。武豊が負傷した為、続くスプリングSでは四位が騎乗したが、豪快な末脚で問題なく重賞3連勝。

皐月賞でも四位が騎乗したが、最終コーナーで大外を回る騎乗ミスが響き3着。解説者「1頭だけ100メートル余分に走っていた」。

NHKマイルCで武豊が復帰し騎乗するが、直線でテレグノシスの斜行による不利を受け3着。20分もの審議の末、勝ち馬テレグノシス降着は無く、武豊ブチ切れ。

ダービーでは「やっと」普通に走る事ができ、シンボリクリスエスを差しきって優勝。秋に左前浅屈腱炎を発症してしまい、引退。

種牡馬として初年度に名牝ウオッカによって、史上初の父娘ダービー制覇を達成。

牧場の柵を壊しまくって、スタッフから付いたあだ名は「破壊王(破壊神)」。

 

シンボリクリスエス(1999年・牡)

アメリカ産馬。1歳セールの売れ残り。大きい割には中身が弱く、疲れが残りやすいとされた。新馬戦で勝つものの、条件戦の2勝目まで半年かかった。

成長と共に体質の弱さも無くなり、青葉賞で重賞初出走ながらも、先行抜け出しで勝利。武豊「この馬良いですね!秋には絶対良くなりますよ!」と絶賛。→いや、ダービーあるけども!
ダービーでは岡部幸雄が騎乗。最終直線で外から全てを差し切ったと思われたが、更に後方のタニノギムレット(武豊が騎乗)に大外からブチ抜かれた。武豊の言う通り、春はGⅠを獲らせてもらえなかった。

神戸新聞杯皐月賞ノーリーズンに完勝すると、「強いから」という理由で、菊花賞ではなく天皇賞(秋)へ。直線で抜け出すと、ナリタトップロードエアシャカールの猛追を振り切った。有馬記念も優勝し、年度代表馬に。

翌年の天皇賞(秋)で、史上初の連覇を達成。

ジャパンCタップダンスシチーの大逃げを許してしまい、グレード制導入後のGⅠ最大着差の9馬身での優勝をされる。(シンボリクリスエスは3着)

有馬記念では、前年2着のタップダンスシチー、GⅠ6勝馬アグネスデジタル、翌年の秋古馬三冠馬ゼンノブロイを置いてきぼりに9馬身(GⅠ最大着差タイ)で連覇達成。2年連続の年度代表馬となり引退。

種牡馬として、エピファネイアシンボリクリスエスの獲っていない菊花賞ジャパンCを制し、更にその産駒のエフフォーリアはダービー含むGⅠ3勝、デアリングタクトは牝馬三冠を達成するなど、現在もシンボリクリスエスの強い血を見せつけている。

 

 

アストンマーチャン(2004生・牝)

デビュー2戦目で順当に勝つと、続く小倉2歳Sも勝利し、同世代で重賞1番乗り。更にファンタジーSではレース中に落鉄したに関わらずレコードタイムで重賞2連勝。

阪神JFウオッカと激突。3番手から直線で先頭に立ち、残り200mで3馬身離していたが、ウオッカにクビ差で敗れる。レコード決着だったが、アストンマーチャンはタイム差なしであった。

翌年、(ライバルの居ない)フィリーズレビューを圧勝し、ウオッカとの再戦は桜花賞。結果はダイワスカーレットの7着。コンディション面が敗因としたが、以降は短距離が適正とし、春シーズンの残りは回避。

北九州記念(GⅢ)は伸びずに6着だったが、スプリンターズSではロケットスタートが炸裂し、逃げ切って史上2頭目の3歳牝馬での優勝となった(ニシノフラワー以来)。

その後、スワンS(GⅡ)で14着、翌年シルクロードS(GⅢ)で10と低迷。高松宮記念を目指していたが体調を崩して回避。更にX大腸炎を発症してしまい治療が行われたが、急性心不全により死亡してしまう。

 

 

コパノリッキー(2010生・牡)

3歳で兵庫チャンピオンシップ(園田)を圧勝し、重賞初勝利。その後、骨折により半年の休養。復帰戦のOP戦は2戦とも掲示板外。

翌年はフェブラリーSから始動。当然の(?)最低16番人気だったが、2番手から直線で先頭に立つとホッコータルマエを振り切ってGⅠ初勝利。単勝2万7210円の配当はGⅠ史上2番目。

翌年にフェブラリーSを連覇したが、レース中に左橈骨遠位端骨折を発症していたことが判明。またも半年の休養。

7歳の東京大賞典に勝利し、有終の美を飾り引退した。歴代最多のGI・JpnI競走11勝を挙げた。

 


サトノクラウン(のはず)(2012生・牡)

イギリスからの持ち込み馬。デビューから3連勝で弥生賞を勝利する。皐月賞では1番人気になるが6着。ダービー3着、天皇賞(秋)は17着で、同期の皐月賞・ダービー馬ドゥラメンテ様や、菊花馬馬キタサンブラックが活躍する中、GⅠが獲れないまま3歳を終える。
翌年、初戦の京都記念を完勝するも、香港のクイーンエリザベス2世Cでは12着の惨敗。宝塚記念6着、天皇賞(秋)14着とやはりGⅠが獲れない。

香港ヴァーズで連覇を狙うハイランドリール(アイルランド)と対決。同年に凱旋門賞2着、BCターフ1着の強敵の逃げをゴール寸前で捕らえ、念願の初GⅠが海外での金星となった。

翌年、京都記念で前年のダービー馬マカヒキに勝つが、大阪杯ではキタサンブラックの6着。

宝塚記念キタサンブラックと再戦。シュヴァルグランを先頭にキタサンブラックは3番手に控えたが、向こう正面でサトノクラウンがプレッシャーをかけペースが上がった。結果、キタサンブラックは最終直線で失速し、サトノクラウンがの末脚が炸裂した。前年の有馬記念ゴールドアクターを振り切って国内GⅠ初制覇を果たした。

天皇賞(秋)キタサンブラックとのマッチレースとなるが、クビ差及ばず2着と借りを返された。

その後GⅠは5戦したが、掲示板には載れなかった。

 

 

シュヴァルグラン(のはず)(2012生・牡)

馬主は元プロ野球選手(横浜/シアトル)の佐々木主浩

半姉にヴィクトリアマイルを連覇したヴィルシーナ、半妹にドバイターフを制したヴィブロスがいる。

3歳クラシックは出走せず、しっかり実力を付けて4歳。

阪神大賞典で重賞初制覇を果たすと天皇賞(春)へ。キタサンブラックの3着だったが長距離への適性が見えた。

秋のジャパンCで3着。翌年の天皇賞(春)で2着と、キタサンブラックにGⅠ制覇を阻まれてしまう。

5歳秋、ジャパンC。最終直線4番手から、逃げるキタサンブラックを残り100mでついに捉え、この年のダービー馬レイデオロの追撃を振り切って、GⅠ初制覇を果たした。

その後は勝利こそ無かったが、GⅠで馬券内に3回入った。

7歳の有馬記念までGⅠを17回も出走し、同期ライバルの引退後も競馬を盛り上げた。

 

 

 

 

シュヴァルグランが1番カワイイです。

サクラローレルが1番エロいです。

おわり。