ウマ娘の登場馬について(追加実装+他すべて+α)

こんにちは、

学生時代に1レースで10万飛んだ話を取引先にしたら「アホだねぇ」って言われました。ぴえん!

たみーです。

 

ウマ娘アニメSeason2まで見ました。トウカイテイオーの話は何度観ても涙がでますね(´;ω;`)。ツインターボもカッコ良すぎ。次期はあるかな?

 

 

さて、ウマ娘の史実紹介も一旦はラスト。もっとキャラ増やしてくれい。出演交渉がんばってくだせぇ。

 

 

ミスターシービー(1980生・牡)

ウマ娘】ミスターシービーのプロフィールと元ネタ - ゲームウィズ(GameWith)

皐月賞は雨の中、ほぼ泥という重馬場で、追い込み馬には不利ながらも完勝。当時、出走数20頭を超えるダービーでは「第1角を10番手以内」という「ダービーポジション」が定石だったが、18番手の入りから優勝してしまう。菊花賞では、最後方から第3角で進出し、最終角の下り坂を加速しながら先頭に立ち、そのまま逃げ切った。19年ぶり史上3頭目三冠馬となった。1世代下の三冠馬シンボリルドルフとは3度対戦したが全て降着した。

 

イナリワン(1984生・牡)

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地方・大井競馬出身。気性が悪く、デビューから2戦目、ゲートで暴れて頭を強打し、前頭骨打撲。復帰後、デビューから計8連勝で3歳を終える。重馬場が苦手か、翌年は敗北が目立ったが、芝向きと見られ、年末の東京大賞典の優勝をすると翌年に中央競馬へ移籍。春はオグリキャップスーパークリーク(合わせて平成三強)がいなかったが、天皇賞(レコード)・宝塚記念を制覇。秋は毎日王冠でいきなりオグリと激闘(2着)してしまい、反動からか天皇賞ジャパンCは惨敗。しかし有馬記念では、ハナ差でクリークをレコードタイムで差し、オグリにもリベンジ達成した。

 

シリウスシンボリ(1985生・牡)

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馬主が横暴で調教師とケンカし、別の厩舎へ移された後、馬主が厩務員組合全体の反発を受け、1週間で戻された(草)。ダービーが唯一勝利したGⅠ(そこ書かないの草)。その後はルドルフの凱旋門賞の帯同馬として海外に行く予定だったが、ルドルフが故障して中止。そのまま1頭で渡欧する(ケンカの件からか、厩舎関係者が帯同しないの草)。約2年で14戦全敗。帰国後も離れすぎた環境の違いからか、6戦全敗。毎日王冠(GⅡ)でオグリキャップの2着がせいぜい。

 

メジロアルダン(1985生・牡)

ウマ娘】メジロアルダン(サポート/SR)のイベントと評価【プリティーダービー】 - ウマ娘攻略Wiki | Gamerch

 双子だったが、片割れは死産。ダービーでは直線でサクラチヨノオーをかわすも、差し返されてしまう。骨折明けの翌年のオープン戦を勝つと、高松宮杯(GⅡ)でバンブーメモリーを抑えてレコード勝ち。秋は「平成三強」を相手に、毎日王冠天皇賞(秋)は3着に敗れる。直後に屈腱炎を発症し、再び長期休養。翌年の天皇賞(秋)で同期のヤエノムテキの2着と惜敗。翌年もまた屈腱炎で長期休養となり、3年半の現役のうち、半分以上が休養で過ごしてしまった。

 

バンブーメモリー(1985生・牡)

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生まれつき蹄が弱く、デビューから暫くはダートを使っていた。蹄も成長した4歳で初の芝レースで勝利し、次のオープン戦も勝つと安田記念へ。当然の10番人気だが、後方から直線で広がった馬群のど真ん中をぶち抜き優勝した。秋のマイルCSでは最終コーナーで先行するオグリキャップをかわし直線で抜け出すが、ゴール板手前で迫られハナ差で負けた。翌年の天皇賞(秋)ではヤエノムテキメジロアルダンの3着と敗れる。年末のスプリンターズSはこの年からGⅠへ昇格。後方から馬群を突き抜け、日本初のスプリント王に。(高松宮記念は当時GⅡで2000m)

 

シンコウウインディ(1993生・牡)

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条件戦の館山特別で直線抜け出した後、内のダイワオーシャンに噛みつき、スピードが落ちて同馬に負け。スーパーダートダービー(大井の重賞)でも、逃げるサンライフテイオーに噛みつき、届かず2着。翌年にGⅠに昇格したフェブラリーSで優勝し、中央競馬初のダート王となった。

 

アドマイヤベガ(1996生・牡)

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 母は牝馬2冠馬のベガ。その初仔は双子だったが、「双子の競走馬は大成しない」という理由で、片方は胎子で潰された(メジロアルダンと違い意図的に)。母に似て左前脚が内側に曲がっていた(フラグ)。皐月賞では直前に体調不良になりー12kgに。それでも1番人気だったがテイエムオペラオーの6着。ダービーでは体重も戻り、初の2番人気だったが大外からテイエムオペラオーを一気にかわし、レコードタイで優勝した。翌年に左前脚の繋靭帯炎が判明し引退(🚩回収)。

 

トーセンジョーダン(2006生・牡)

ウマ娘】トーセンジョーダンの可愛さってまだバレてないよね | ウマ娘うまぴょい速報

裂蹄が見つかりクラシックシーズンは棒に振る。翌年のアルゼンチン共和国杯(GⅡ)を勝つなど、復帰してからは順調だったが、有馬記念は5着。翌年もAJCC(GⅡ)を勝つが宝塚記念は9着と、GⅠではイマイチという評価。同年、札幌記念(GⅡ)を勝つも、やはり評価は低く、天皇賞(秋)では7番人気。しかし、1分56秒1という壊れ日本レコードで勝ってしまう。レースレコードでもコースレコードでもない、キツい府中の坂を駆け抜け、(今も)日本一2000mで早い馬になった。これには調教師も「(トーセン)ジョーダンかなと思ったw」。

 

ナカヤマフェスタ(2006生・牡)

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デビュー2戦目で東京スポーツ杯2歳Sを勝ちクラシックを期待される。しかし翌年はセントライト記念(GⅡ)こそ勝つが、肝心の三冠レースはボロボロ。さらに年末の中日新聞杯(GⅢ)で13着というダメダメの状態で休養へ。ここでステイゴールド随一の気性の悪さが落ち着いたようで、まともな調教ができるようになる。春にオープン戦を勝つと宝塚記念へ。8番人気ながらも、ブエナビスタを差しきり優勝する。秋は凱旋門賞に挑戦。ワークフォース(英ダービー馬)との叩き合いの末、僅かに及ばず2着。内国産馬では初の凱旋門賞連対となり、世界ランク6位タイとなった。

 

 

ーーーーーーーーーー番外編ーーーーーーーーーー

 

トキノミノル(駿川たづな のモデル?)(1948生・牡)

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10戦10勝。そのうちレコード優勝7回という成績でクラシック二冠を制したというバケモノ。日本ダービーの17日後に破傷風で急死し、「幻の馬」と称された。戦後の中央競馬で10走以上した馬で、唯一全勝を記録している。当時、経営不振だった中央競馬にダービーで7万人の観客を集め、「第一次競馬ブームの主人公」とされた。

 

ノーザンテースト(秋川やよい理事長 のモデル?)(1971生・牡)

ウマ娘】理事長「解雇ッ!トレセン学園!」ワイトレーナー「えっ…?」 | いま速

カナダ産。ノーザンダンサー産駒がアメリカでどうもヤバいらしいと、種牡馬にする前提で米国セリで購入。海外で走らせてGⅠは1勝だけだったが、種牡馬になり輸入。輸入した当初は、短い足に大きな顔という牛のような独特の風貌もあって、一部の生産者からは「犬みたいな馬w」「アメリカからわざわざヤギを買ってきたのかwww」と揶揄された。しかし産駒がとにかく勝ちまくり、日本競馬の血統を大きく塗り替えた。ウマ娘に関わる代表産駒は、マチカネタンホイザダイナカール(→エアグルーヴ)、アンバーシャダイ(→メジロライアン)、アスワン(→メジロアルダン)。

 

 

あと書くとしたら、登場して欲しいウマ娘について書くかな~。ふぃん。